「松阪茶」という名前は、実は2010年まで存在しませんでした。
松阪茶の歴史を語るには、まず「伊勢茶」全体の流れを押さえる必要があります。三重県内でお茶が栽培されたことを示す最古の記録は、平安時代の延喜年間(901〜922年)にまでさかのぼります。四日市市の飯盛山浄林寺の住職が茶樹から製茶し、村人に喫茶をすすめたと伝わっています。
つまり、1100年以上の歴史があるということですね。
しかし現在の松阪市エリア、具体的には飯南・飯高地域に茶栽培の起源が根付いた背景には、もうひとつ重要な記述があります。室町時代初期の書「背書国誌」によれば、鎌倉時代の1191年に栄西禅師が宋から持ち帰った茶の実が、京都栂尾から「伊勢川上」に分植されたとあり、この「伊勢川上」が現在の松阪市飯高町あたり(櫛田川上流)を指すという説が有力とされています。
さらに興味深い記録も残っています。この地(現・松阪市飯高町あたり)には古い地名の由来として「川俣はもと香畑と書き、茶の香味を称することからつけられた」とあり、いかに古くからお茶と深く結びついた土地であったかがわかります。香り高い産物に恵まれていたことから、この地域一帯を「香肌峡(かはだきょう)」とも呼ぶのです。
江戸時代に入ると、この地は紀州藩の「御茶所」として時の将軍に献上茶を生産していたことも伝えられています。将軍への献上品として認められるほどの品質が、すでにこの地に備わっていたわけです。高品質なお茶が生まれる地理的条件として、櫛田川が生む朝霧、山間部の大きな寒暖差、水はけのよい豊かな土壌という3点が古来から変わらず備わっています。
「松阪茶」という愛称が公式に決まったのは平成22年(2010年)のことです。意外ですね。それまでは、三重県産のお茶を総称した「伊勢茶」の一部として扱われていました。
三重県内で生産されるお茶の総称が「伊勢茶」であり、平成19年(2007年)には特許庁の地域団体商標として正式に登録されています。三重県は現在、お茶の栽培面積・生産量ともに静岡県・鹿児島県に次ぐ全国第3位のお茶産地です。
| ランキング | 都道府県 | 栽培面積 |
|---|---|---|
| 1位 | 静岡県 | 約18,300ha |
| 2位 | 鹿児島県 | 約8,660ha |
| 3位 | 三重県 | 約3,150ha |
松阪市はその三重県の中でも、南勢地域最大の茶産地として位置づけられています。市内西部に広がる飯南・飯高地域を中心に約360ヘクタールの茶畑があり、上質な深蒸し煎茶が生産されています。全国3位という数字は、東京ドームの敷地面積(約4.7ha)と比べると、松阪市だけでも東京ドーム約76個分もの茶畑が広がっているイメージです。
茶農家で組織する松阪市茶業組合が、この地で生産される深蒸し煎茶を誰もが親しみやすい地域ブランドとして広めたいと考え、公募で「松阪茶」という名称を決定しました。「松阪といえばお茶」と連想してもらえるようにという思いが込められています。
現在、松阪市茶業組合には約20名の組合員(茶農家)が所属しており、「なんべん飲んでも、やっぱりうまい」をモットーに生産に励んでいます。また松阪市飯南茶業伝承館では、お茶の淹れ方・手もみ体験教室などを開催しており、伝統の技術と歴史を次世代につなぐ役割を担っています。
「三重のお茶=静岡よりマイナーな産地」と思っていませんか。これは大きな誤解です。
実は明治前期(1870〜1880年代)において、伊勢茶は全国第1位の生産額を誇っていたのです。1883年(明治16年)に神戸で開催された第2回全国製茶共進会の報告書には、「伊勢国ハ産茶著名ノ地ニシテ産額ハ全国ニ冠スル」と記されていることがその証拠です。
さらに驚きの事実があります。現在は全国トップの生産地である静岡県が、1882年頃には「製茶の品質、三重県にも劣る」という状態で、三重県から技術者・酒井甚四郎氏を御用係として招き、静岡の茶業者に栽培技術を指導してもらっていたのです。
つまり、かつては三重・伊勢茶が静岡茶の「先生」だったということですね。
その後、静岡茶が品質改良を重ねて急成長し、三重県との立場が逆転しました。1893年の「伊勢新聞」には、三重県係員が「元我県下の茶は静岡県より上位にありたるに今日は其下位にある」と静岡県製茶の実況を報告した記事が残っています。歴史は逆転することがある、という好例です。
この事実は今の松阪茶を見るうえでも重要です。かつて全国をリードしていたお茶産地のDNA、品質へのプライドが、現在の松阪茶の高品質につながっていると言えるかもしれません。
三重県文化振興事業団による「伊勢茶の歴史と輸出」に関する詳細な資料
松阪茶の歴史を語るうえで欠かせない人物が、「茶業王」あるいは「茶聖」と呼ばれた大谷嘉兵衛(おおたにかへえ)です。1844年(弘化元年)、現在の松阪市飯高町に生まれた嘉兵衛は、19歳で横浜の製茶業に奉公に出ます。
これが日本の茶業史を変える第一歩でした。
嘉兵衛は24歳で外国商社の製茶買付人となり、商才を発揮します。横浜を拠点に伊勢茶を大量に輸出し、日本茶の海外市場を切り開いていきました。幕末から明治初期にかけて、日本茶は生糸と並んで最重要輸出品であり、嘉兵衛が扱う伊勢茶がその大半を占めていたとされています。
🔹 大谷嘉兵衛の主な功績
- 1872年(明治5年):製茶改良会社を設立し、輸出茶の品質向上に尽力
- 1879年(明治12年):全国茶業組合を組織
- 1884年(明治17年):農商務省を説いて全国の茶産地に茶業組合を設立
- 1898〜1904年頃:アメリカが日本茶に課した高関税(茶価と同等水準)に対し、マッキンレー大統領と直接交渉し関税撤廃を実現
特に最後の逸話は圧巻です。松阪の農家の息子が海を渡り、米国大統領と直談判して日本茶の関税撤廃を実現したのです。この行動力があったからこそ「茶業王」「茶聖」という称号を得るに至りました。
嘉兵衛の出身地・松阪市飯高町宮本(川俣)には現在も大谷嘉兵衛資料館が設けられており、当時の茶箱や書画など貴重な資料が保存されています。松阪茶の歴史を語る際には、この「人物」の物語も欠かせないのです。
松阪茶の実力は、今もまったく衰えていません。関西地区の茶生産者が出品する「関西茶業振興大会(関西茶品評会)」では、深蒸し煎茶部門において、平成17年(2005年)以降、松阪市が産地賞(市町村別1位)を毎年連続受賞しています。
16年以上ずっと1位が続いているということですね。
三重・岐阜・愛知・滋賀・京都・奈良の6府県から約374点が出品される大会で、個人部門でも農林水産大臣賞をはじめとする上位賞を松阪市の生産者が独占する年も少なくありません。また、伊勢志摩サミット(2016年)では、松阪・飯南の茶農家グループ「深緑茶房」が生産する「千寿」という銘柄が呈茶されました。世界のVIPに振る舞われたお茶が、飯南の茶畑から来ていたのです。
なぜ松阪茶はここまで高品質なのか。その理由は、大きく3つの自然条件に集約されます。
| 条件 | 内容 |
|---|---|
| 寒暖差 | 山間部特有の昼夜の大きな気温差が、茶葉のうま味を凝縮させる |
| 朝霧 | 櫛田川から発生する霧が茶畑を包み、適度な湿度を保つ |
| 土壌 | 水はけのよい豊かな土質で、茶の生育に最適な環境が整う |
深蒸し煎茶は、通常の煎茶より蒸す時間を2倍以上(60〜90秒程度)にします。この工程によって苦みが抑えられ、まろやかでコクのある味わいが生まれます。色が濃く成分が溶け出しやすいため、お茶が苦手という方にも飲みやすいと評判です。急須でうまく淹れるポイントは、沸騰直後の熱湯(95℃以上)を避け、一度湯呑みに注いで70〜80℃程度に冷ましてから使うこと。熱湯で淹れると苦みが増してしまうので注意が条件です。
松阪茶の歴史に触れてみたい方には、松阪市飯南茶業伝承館の手もみ体験教室がおすすめです。実際に製茶を体験しながら、何百年もの歴史に触れることができます。また「深緑茶房」の日本茶カフェ(松阪市飯南町)では、農林水産大臣賞を受賞したお茶を手頃な価格で楽しめます。
松阪市茶業組合公式サイト(品評会の成績・組合員一覧・伝承館の情報)
農林水産大臣賞・天皇杯受賞の深緑茶房公式サイト(松阪市飯南町)